そんなゴタクはどうでもいいから、黙って投票しとけ

tonapa2009-08-30

んー、毎度の事というか何というか。
この次期になると、投票拒否の話とか増えるね。はてな近隣で注目を集めているみたいなのは、こんな意見。

もうずっと選挙には行ってない。今度のやつももちろん行かない。「とにかくみんな選挙に行くべき!」とか力説してる人よくいるけど、仮に投票率が100%になったとして、それでこの国の政治がまともになると思ってるなら、それはちょっと脳天気すぎるんじゃねーの。
若干中2っぽくて恐縮ですが、やっぱこの国は国民があらかたダメだからもう何をどうしたって希望はないと思うんだよね。この国でより多くの人が政治に参加したところで、国民の総意を反映した健全な衆愚政治が始まるだけなんじゃないかな。


(〜中略〜)


そりゃあ今の政治はひどいもんだと思う。納得いかないことはたくさんある。邪悪な人たちが得をする世界はイヤだし、福祉や医療が貧弱な国はイヤだし、そのせいで真面目に生きてる人が困ったり死んだりするのはイヤだから、もちろんいろいろまともになってほしいと思うけど、でも実際問題まともになれる可能性はこの国のどこを探しても見つからないんじゃないの。少なくとも投票率上げたくらいでどうにかなるって話じゃないでしょう。だっておれたちバカだからね。バカが雁首揃えて投票所に並んだところで、バカによるバカのための政府ができあがるだけじゃないの。


(〜後略〜 太字強調は引用者による)



衆愚政治の危険性なんて、民主主義がまだ理論だけの時代から指摘され続けて話じゃないの。で、そこんとこを勘案してなお、まだ民主主義が一番マシそうに見えて、実際にやってみたら(今のところは)これが一番マシだったと。
政治の世界にゃ“ベスト”なんてものは存在しない。妥協に妥協を重ねつつ、かなり低水準の“モア・ベター”を追求するしか無いのが現実だよ。
で、そのモア・ベターが選挙という行為なわけ。オーケィ?


投票率を上げたぐらいで、と斜に構えて馬鹿にしちゃいるけど、地方の小規模な選挙では住民の関心が高くなる=投票率の上昇に伴って、国政では見られないようなダイナミックな政治転換が往々にして発生する。
選挙に限らず住民投票も含めての話でよければ、私は守口・門真両市の合併を巡る住民投票*1に参加したことがあり、投票率50%以下なら不成立・無効という厳しい条件の下、投票率50.64%で成立・開票・・・結果、両市の合併が白紙撤回される瞬間を目の当たりにしている。
国政は規模がデカいだけに、ここまで劇的な変化が起こることは少ないんだけど、かつての村山政権や小泉政権、そして今回の民主党大勝ムードと、それでも大きなうねりは発生するんだよ。


別のblogからもうひとつ、中にはこんな人もいる。

選挙権という国民の権利を行使しないのであれば政治に文句を言うなという大きなお世話も少なくない。これは要するに裏を返せば選挙権を行使した自分たちは政治に参加しているのだという意識のあらわれなのだと思うが、自分の一票を投じただけで政治的な気分に浸れるそのおめでたさには心底感服する他ない。



じゃ、選挙権を行使する以外に、どうやって政治に参加するの?
唯一の手段を行使して、悦に浸ることの何が悪いんだか。おめでたさで言うならば、冷笑家気取りで諦観ポーズを決め込んでいる*2ほうがよっぽどオメデタいと思うのだが。


選挙や投票が無力だなんてとんでもない。
一票にはそれなりの重みがあるし、負けた候補への票だって、当選候補に対する示威行動のひとつとして効果を発揮する。
だから選挙での投票は、無意味でも無力でもない。
中2病が夢想するような「理想社会」なんてのは流石に無理だけど、システムとしてはそこそこ、ちゃんと機能してるんだよ。


「政治が三流なのは国民が三流だから」って、それに甘んじてる奴は四流以下。
バカの考え無しな一票だって、無いよりはあった方が百万倍マシなんだ。
だから、ゴタクはどうでもいいから、選挙権があるなら黙って投票所いっとけ。

*1:詳細はwikipedia:守口門真市参照のこと

*2:ただしこの人自身は「大抵の選挙には足を運び投票を行っている」らしいので、注意されたし。お祭り気分で、人に頼まれるがままの投票でも、棄権するよりはずっと良い。どうでも良いから得意そうな人に任せる、というのだって立派な意思表示なのだから。